マホ

ついった死んでるからこっちで授業中の暇潰しがてら「何故気持ち悪いと思うか論」を書くことにする
まず、自分が気持ち悪いと思うことを例に挙げると「有名人に媚びを売る」なんだけど、これは「何とも思わない」ではなく「気持ち悪い」ってこと
「何とも思わない」と「気持ち悪い」って感情の違いは、自身の内にあるそれと似たような(克服できていない、忌避すべき)要素があることに対しての表れだと考えられる
だからそのような要素のない事象に関しては何とも思わない
気持ち悪いと感じたことがあれば、自分のなかに克服すべき要素があるってこと
人のふり見て我がふり直せってーのかな
で何故気持ち悪いかを別の方向に考えると、次に何故忌避しているのかってとこに行き、その次には「もし自分が同じ行動をして不利益を被るのが嫌だから」ってとこに行く
自分が有名人に媚びを売る行為をした場合、有名人その人や周囲に疎ましく思われたり嫌われたりするのが嫌だからって話
ここまでのことだけであれば「気持ち悪い」ではなく「何とも思わない」レベルのことに過ぎない
それが何故「気持ち悪い」レベルにまで行ってしまうかと言えば、その要素に関して憧れがあるんだと思う
つまり先の例で言えば、有名人に媚びを売っていい気分に浸りたいっていう願望が自身の内ににあるからこそ、他人が同じことをしているのを見ると気持ち悪いと思うってこと
やりたいけどやりたくないっていう感情のすれ違いが、気持ち悪いって感情になって表れているわけです
だからそのような願望を克服してしまえば気持ち悪いと思う感情もなくなる
…というようなことを言いたかったんです
やや余談だけど「人は自分を写す鏡」とか「人を許すは己も許す」みたいなのはつまりそういうことなんじゃないのかな
全てを克服すると慈愛に満ちた仏になります、みたいな